「大富豪アニキの教え」に従って1日17時間働いた激動の2ヶ月を振り返る。
こんにちは。秘境をめぐる治療家、中村ひろき(@you_chiroin)です!
ぼく、今でこそ日本人の平均年収の倍以上稼いで、そこそこ人並みの生活を送れているんですが、3年前は正真正銘のクズでした。27歳のときでした。そこそこいい年。
- 家賃3ヶ月滞納
- 居眠り追突事故2回(うち1回は元旦)
- 軽自動車に軽油を投入してレンタカー破壊
- 7つの銀行口座の残金をかき集めても全財産4200円
こんなにクズだったのに、アホみたいにポジティブだから、「これらの苦労は、確実に成功するオレに神様が試練を与えたに違いない」と思い込んでいました。たぶん周りから見たら相当痛かったんだろうなぁ。
で、家賃を滞納してるクセして自己啓発本だけは買い漁るもんだから、態度だけは偉そうになってゆく。収支はどんどん悪化してるのに、どこまでも楽観的。そんな危ない時期にこの本を読んだんです。「大富豪アニキの教え」って本を。
ぼくは今でもこのアニキが大好きです。「とにかくオゴりまくれ!」「家に泊まらせろ!」とかいう教えは、ぼくの中でシッカリ腑に落ちたもんで、ガッツガツに実行してます。気前がいいって、すごい気持ちいい。
稼ぐ人=タフである
27歳のぼくは、とにかく稼ぎたい気持ちで溢れていました。で、稼いでる人の共通点を分析した結果、「タフである」という共通点を見つけました。寝ずに働いたり、毎日飲みに歩いたり、とにかく無尽蔵の体力がある人が稼げるんだなぁと思い込んでいました。
そのタイミングで「大富豪アニキの教え」を読んだら、「1日14時間以上働け。」と書いてあったもんだから、完全にエンジンが入ってしまいました。長時間労働カッケー!!!と酔いしれて、みんなに尊敬されたい一心で、誰よりも長く働くことを決心しました。
1日17時間労働の内訳
1日17時間働くことを決心したぼくは、なにを思ったのか、やったこともないパチンコ屋で働くことに決めました。理由は、時給が高かったから。
ぼくの資格を活かした仕事につけば、パチンコ屋より給料は高いのですが、知識ゼロのことをやったらどーなるのか、興味があったのです。
- 8〜16時(7h) 名古屋駅前のパチンコ屋
- 17〜21時(5h) 名古屋市郊外の接骨院
- 22〜27時(5h) マリオットアソシアの客室マッサージ
無事パチンコ屋の面接が受かって、このライフスタイルが確立した時、ぼくは舞い上がりました。「マジで17時間働いてるじゃん!おれカッケー!!!」と。
17時間労働のぼくに起こった七変化
誰にでも起こるワケじゃないと思うのですが、ぼくのカラダには次の順番で徐々に異変が起こってきました。思い出すだけで足が震えてきます。
1. 疲労
各仕事間の移動は電車だったのですが、コレがたった10分でもよく寝れるんですよ。おれスキマ時間の使い方クッソ上手くね?と惚れ惚れしてました。
気を抜くととにかく眠い。トイレで大便中とか、接骨院で受付のイスに座ってる時とか、数十秒の超スキマ時間にちょいちょい体力ゲージを回復してました。
2. 肌荒れ
「中学生んときのおれかよ!」とツッコミたくなるほど、27歳のクセに顔面にたくさんニキビが現れました。逆に若返ってるのかと思いました。
深夜3時に名古屋駅からチャリで帰るとき、ラーメン屋に寄ってたせいもあったのでしょう。誰か、深夜3時に食うラーメンの美味さを科学的に解明してほしいものです。
3. 思考停止
1日17時間労働を始めて数週間経つと、頭の働きが相当鈍くなっているのがわかりました。下に挙げたような症状が出始めたのです。「お、限界きたか?」と最初に感じたのがこのステージでした。
- 他人が喋ったことを聞いた瞬間に忘れる。
- 何度頭の中で復唱しても覚えられない。
特にキツかったのは、やったことすらないのに始めたパチンコ屋のバイト。客は怖いし、専門用語はわからんし、同僚はパチンコの話ばっかしてるし、1秒も楽しくない8時間。
コーヒーを運ぶスタイル抜群のワゴンガールを眺めることだけが唯一の楽しみでした。
先輩との会話は、ずーっとこんな感じ。
「中村くん、エヴァの台は確変になるとここが光るんだ。」
「カクヘンってなんすか?」
「え、そこから説明しなきゃダメ?」
「ですね・・・(説明しなくてもいいけど今おれに説明しないとあとあと困るのはおまえだぞ)」
「ま、大当たりのことだと思ってくれたらいいよ。」
「わかりました。(シンプルだな)」
「で、玉が詰まったらここをチェックしてくれよ。」
「はい。(やばい、カクヘンってなんだっけ。)」
たぶん居酒屋バイトが「お通し」の意味を知らないレベルだったんでしょう。カクヘンの意味を知らなかった時の、先輩のゴミを見るような目線が今でも忘れられないよ。
過労だったからか、興味ゼロの分野だったからか今でも謎だけど、とにかくこんな感じで他人のしゃべる言葉を瞬間忘却するようになったのでした。
4. 高揚感
1日17時間労働を始めて1ヶ月が過ぎると、完全にカラダが生活に慣れていきました。明け方4時に寝ても、朝6時半にスパッと起きれるし、頭の回転もわりと速い。これ、おれが憧れてたショートスリーパー現象じゃね?と気持ちが高ぶってきました。
マラソンで言うところのランナーズハイ状態。どんだけ走っても笑顔で走れる。しんどさを感じなくなる。ついにおれも「タフさ」が身についたのかーと酔いしれていました。
土曜の27時に仕事が終わったら、そのまま友達と遊びに行ったりして、夜勤明けの看護師ばりの体力を発揮し始めました。
(カクヘンの意味はわからぬまま。)
5. 幻覚
引用:http://naokorinn0923.hateblo.jp/entry/2016/03/21/130922
「幻覚」といってしまうと響きがいいんですが、たぶんそうではありません。ただの見間違い現象が多くなったのです。
今でも覚えているのが、中日の堂上選手のユニフォームを見て、「え、DRAQUE?なんでドラクエなんだこいつウケるwww」と一人でテレビ画面を見てクスクス笑っていたこと。
想像すると怖くないですか?こんなことが日常茶飯事になっていきました。
パチンコ屋のバイトは、同僚から「なんにも仕事ができない」とレッテルを貼られ、ただただ苦痛に耐えるだけの8時間でした。たまにワゴンガールと昼休憩がかぶっても、なんかギャルっぽいから怖くて話しかけられないし。
無料で食わせてもらえる昼の弁当を食いながら、「こんなんが儲かってんだなぁ」と思うのが精一杯でした。
(まだカクヘンの意味はわからない。)
6. 失神
引用:http://nk.xtone.jp/archives/associa-hotel.html
マリオットアソシアホテルの客室マッサージは、ぼくにとっての癒しの時間でした。なぜなら、勤務時間は「22〜27時」だけど、実際にマッサージするのはたった2時間程度。それ以外の時間は、楽屋みたいなところで順番を待ってるだけだったからです。同僚はみんなおばちゃんだったので、たいそうかわいがってもらいました。
その順番待ちの間、おばちゃんたちは本を読んだり、談笑したりしていました。ぼくは、ここぞとばかりにロッカーにもたれかかって寝ていました。そんなとき、待合室で事件は起こったのです。1日17時間労働を始めて2ヶ月ほど経ったときのことでした。
「中村くん!中村くん!」
「ふぁい?(寝てた)」
「寝てたじゃないわよ!アナタ今倒れてたのよ!」
「まじですか。」
「そう、白目を剥いてね!!」
「そうなんですか。」
「あなたここを辞めなさい。その体では無理よ。」
「え、クビ?」
経験年数も長かったマッサージの仕事だったので、特に問題を起こすこともなかったマリオットでのバイト。15階からの絶景を眺めながら食べる社員食堂のやっすい定食を食べるのがとても楽しみでした。
客室へマッサージしたときに、真っ暗闇の部屋でイタリア人男性にセクハラされた思い出も、急速に美化されてきました。
クビ?このおれが?パチンコ屋じゃなくて?マッサージ本職なのに。てか家賃払えないって。やべえぇぇぇえええ!!!
7. そして伝説へ ・・・
マリオットをクビになったのはかなりショックでしたが、仕事が21時に終わることの喜びを噛み締めていました。仕事終わるのはええ!!と毎日感動していました。会えない人と会えたり、やれなかったことをやれたり、充実したライフを楽しみました。
でも、パチンコバイトのつまらなさは異常。専門用語わかんないのに、その用語を更に略して言いやがるから、もう同僚がみんな異国人にみえました。異国語をしゃべる人たちの中に、おれ一人。
カクヘンの意味が未だに理解できないのに、耳につけられた業務用イヤフォンでは終始異国語が飛び交う毎日。全然内容理解できてないのに1日20回くらい「了解。」と返事するのも限界に達しました。
そしてある朝・・・
いつものように出勤していたのですが、何を思ったのかパチンコ屋をそのまま通過。名古屋駅から新幹線で京都へ逃亡。
おれがいない方が完全にスムーズに回るであろうパチンコ屋をブッチしました。
店には特に影響は出なかったと思いますが、社会人としてほんとうに恥ずかしいことをしました。わりといい年こいて。ここは結構今でも反省しています。
おわりに
ぼくの1日17時間労働生活が2ヶ月で破綻した理由は大きく分けて3つ考えられます。
まず第一に、ぼくの好きなことじゃなかったということ。きっと17時間すべてを大好きな仕事に充てていたら、体はそれほど疲れを感じなかったのでしょう。ぼくの場合、接骨院とマリオットはストレスがありませんでしたが、とにかくパチンコ屋のストレスは尋常じゃありませんでした。
次に、その生活がぼくの理想のライフスタイルにつながるものじゃなかったということも続かなかった要因でした。もともと「体力テスト」くらいの気持ちでやってみたので、その生活が理想とかけ離れていることはわかっていました。でも、やはり体は正直だったんですよね。
3つ目に、「体質はなかなか越えられない」ということ。長時間働くことで生き生きするドMもいれば、ぼくのようにヤバイ症状が次々現れるタイプもあります。「体質に合った生き方」をすることの大切さを身にしみて実感できた2ヶ月でした。
で、そんなクズだったぼくが、なんで今サラリーマンの倍以上の給料を稼げてるんだろか。これ、謎です。
ちゃんとまた振り返って考えてみないとね!